電力政策に思う

震災を受けて電力政策を考えてみた。

震災から既に三週間。日々伝えられる遅々として進まない原子力発電所の対応や、暖かくなってきて緩和されつつある計画停電を見るに連れ、電力政策に思うところが増してきます。原発反対の声、逆に原発擁護の声いろいろ見えてはいますが、どちらも違うんじゃないか大事なことを外しているんじゃないかと思うのです。それは単純な「原発反対・賛成」ではなく、もうちょっと包括的なまさに電力政策全般と言ってしまって良いかと考えています。

はじめに電力とはちょっと離れるのですが、今回の大震災ではインターネットの対災害性能の良さを改めて実感しました。もともとこのような災害でも生き続けるネットワークということで設計されたモノですから耐えて然るべきなのですが、このような実災害に耐える姿は技術者として感動すら覚えてしまいました。もちろんド真ん中の被災地ではネットもほとんど繋がらなくなったと思われますが、それは今後の課題でしょう。

しかしこの話のポイントは、ネットワークという意味で同じである電力ネットワークは果たしてインターネットほどの強さを持っていただろうかというところです。いや、インフラ的に良くできていて大停電をも回避しているという点では、その頑強さは驚嘆と賞賛に値します。しかし原発に限らず多くの発電所が震災以後に稼働できず供給能力不足から計画停電を余儀なくされ、しかもこの状況が一年以上続くと予測される現状は、決して良しとは言えません。復興の大事な次期に電力不足が経済の足を引っ張ることが既に明らかなのです。現実問題としてお金がなければ復興はできません。

なんとかインターネットの頑強さを電力ネットワークに持ち込めないでしょうか。例えばIT技術に倣い、大型発電設備でまとめて発電するのではなく、沢山の小型発電設備で個々に発電し送電しあう、そんな仕組みはどうでしょう。今流行(?)のスマートグリッドもこんな発想を含んでいるようです。大型発電設備は(火力や原子力発電所)は建設から稼働までに10年単位の時間が必要ですが、小型発電設備なら設置期間が短く量産によるコストダウンも見込めるでしょう。もちろん大型発電設備のほうがトータルで見れば効率もコストも環境にも良いだろうという考え方はあります。しかしそれらは技術で解決できるような事柄でしょうし、いまは時間のロスが痛いのではないでしょうか。そして何より災害に強いと考えられます。

単純な「原発は危ないから嫌だ」「効率が良いから賛成」ではなく、上記のように「目下の供給不足に迅速に対応する」「災害に弱い一極集中の電力供給網から脱却する」という視点がまずは重要だと考える次第です。