「想定外」という言葉への違和感

連日、聞かない日はないという単語「想定外」。 この単語を聞くたびにある種の違和感を感じている。 その違和感の正体に迫ってみた。

連日、TVなど報道で聞かない/目にしない日はないという単語「想定外」。 この単語を聞くたびにある種の違和感を感じている。 その違和感の正体を考えてみた。

最近よく聞く/見る使われ方はこうである。 「想定外の津波により…」 「原発には想定外の事態など…」 少し前であれば 「想定の範囲外」 という言い回しのほうがポピュラーだったであろうか。

私は技術者の端くれである。 技術者が「想定外」という言葉を使うときは エンジニアリングの敗北宣言だ。 だから私がその言語を使うとすれば、 きっと酷くみじめな心持ちで口にすることだろう。

しかし最近の使われ方はどうだろう。 政治家、官僚、管理職、広報… 彼らが使う「想定外」はただの言い訳にしか聞こえない。 みじめどころかひらき直りに聞こえることも少なくない。

だれかが想定していたはずなのにアクションをとらなかった。 だれもが想定できたはずなのに目を逸らした。 にもかかわらず「想定外」という。 このギャップが「想定外」という言葉を聞くたびに 私に違和感をもたらすのだ。